ねん土や石で人の形を表現したものを、それぞれ「土偶(どぐう)」、「岩偶(がんぐう)」とよびます。動物や魚、木の実などが多くとれるように願うときや、お守りなどに使われていたと考えられます。むねのふくらみが大きいものや、にんしんしている時のようにおなかが大きいものが多く、女性がモデルであると言われています。また、いろいろな顔や体の形があることから、実際の人ではなく、心の中にある「精霊(せいれい)の仮のすがた」を表していると考える人もいます。
三内丸山遺跡(さんないまるやま いせき)は、特に土偶(どぐう)が数多く見つかった遺跡(いせき)で、約2,000点もの土偶(どぐう)が出土しました。また、石で作られた石偶(せきぐう)も出土しています。
土偶(どぐう)の特ちょうは時代によって変化していて、縄文(じょうもん)時代早期や前期の土偶(どぐう)は形が単じゅんなものが多く、中期になると頭や手足がしっかり表現され、顔の表情が分かるものもあります。
さらに後期になると、人の形をよりくわしく表現したものや、体の中が空(から)になっている「中空土偶(ちゅうくうどぐう)」、大きな目が特ちょうの「遮光器土偶(しゃこうきどぐう)」などが見られます。また、岩偶(がんぐう)は主に前期と晩(ばん)期に作られ、土偶(どぐう)と同じ役割をしたと考えられています。
北海道の縄文(じょうもん)時代後期から晩期の遺跡(いせき)には、遺体(いたい)とともにお墓にうめられた土偶(どぐう)も多く、なくなった人をあの世へ送るために、おともをさせたのではないかと考えられています。
また、土偶(どぐう)は、完全な形で出土することはほとんどなく、手足や頭などがなくなった状態で出土しています。これは縄文人(じょうもんじん)が儀式(ぎしき)のときに、土偶(どぐう)をわざとこわしたと考えられています。
こうしたことから、土偶(どぐう)は縄文人(じょうもんじん)の精神世界を知るうえで、たいへん重要なものであることが分かります。