約6,000〜7,000年前、世界的に気温が高くなる温暖化(おんだんか)が進みました。日本列島では、ドングリの仲間や、クリ、クルミが実る落葉広葉樹(らくようこうようじゅ)の森が広がりました。木々からとれる木の実や、森に生える山菜は、縄文人(じょうもんじん)の大切な食料になりました。このように、野生の植物などをとって集めることを、採集といいます。
クリは、特別な加工をしなくても食べることができ、貯蔵(ちょぞう)や保ぞんにも向いていました。クリは、自然のものをとるだけでなく、栽培(さいばい)もしていたようです。トチノミは、アクぬきをしないと、おいしく食べられなかったので、水にさらすアクぬきの施設(しせつ)も見つかっています。
かたい木の実は、石の道具ですったり、たたいたりしました。多くの遺跡(いせき)から、すり石・たたき石と、石皿のセットが出土しています。そのほか、キノコやイモ類も食べていたようで、キノコの形の土製品を作った人々もいました。
縄文人(じょうもんじん)は木の実や山菜など、周りの植物の性質をよく知り、ときには手を加えながら、植物の旬(しゅん)を上手に取り入れていました。