縄文(じょうもん)時代の人々は、遠くはなれたところに住んでいる人とも交流していました。たとえば、狩猟(しゅりょう)の道具に使われた黒曜石は、北海道の白滝(しらたき)でとれた石が、すでに縄文(じょうもん)時代の前の旧石器(きゅうせっき)時代から、海をこえた場所にも行きわたっていたことが分かっています。
勾玉(まがたま)などのアクセサリーにしていたヒスイは、新潟県の糸魚川(いといがわ)からとれた石が、日本じゅうに運ばれていました。
道具を作ったり直したりするときに、接着剤(せっちゃくざい)として使っていた天然のアスファルトは、秋田県から新潟(にいがた)県にかけての産地から、土器や貝がらを容器にして運んでいたことが分かっています。そのほか、本州のあたたかい海にしかいない貝で作ったアクセサリーが、北海道から見つかっています。また、北海道ではイノシシも本州から連れてきていました。もともと北海道にはいない動物ですが、儀式(ぎしき)などに必要だったようです。
縄文(じょうもん)時代の人々は、丸木舟(まるきぶね)に乗って、海の向こう側の人とも「もの」のやりとりをしていたにちがいありません。このような交流を交易といいます。
交易の品物は、大きなムラに集められ、そこを中継(ちゅうけい)地点として、各地へ運ばれていったと考えられています。