紀元前約2,000年〜1,000年までを、縄文(じょうもん)時代「後期」といいます。
あたたかかった気候が寒くなり始め、人々のくらしも変わっていったと考えられています。このころの土器は、さまざまな形が作られるようになっていました。東日本では共通の文様(もんよう)がつけられ、厚さはうすくなりました。
また、北海道と北東北では、環状列石(かんじょうれっせき)が、さかんに作られました。ストーンサークルともよばれ、大きな石を川から運び、平らにした地面に円形にならべた、広場のような空間のことです。共同墓地や、マツリの儀式(ぎしき)をおこなう場所として使われていたようです。
環状列石(かんじょうれっせき)からは、実用的ではない形の土器や土製品などが出土していて、いのりの道具として作られたのかもしれません。北海道では、石ではなく、土を円形にもりあげた周堤墓(しゅうていぼ)も作られました。