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世界遺産
北海道・北東北の縄文遺跡群

世界遺産(いさん) 北海道・北東北の縄文遺跡(じょうもんいせき)群

 北海道、青森県、岩手県、秋田県には、世界遺産(いさん)白神(しらかみ)山地や知床(しれとこ)など、今も豊かな自然が残っています。
 この豊かな自然のめぐみを受け、人々は狩(か)り木の実などの採集をしながら、1万年以上もの長い間、定住しました。紀元前1万3千年ごろから紀元前4百年ごろまで続いたこの時代を縄文(じょうもん)時代といいます。

 北海道・北東北の縄文遺跡(じょうもんいせき)群は、北海道、青森県、岩手県、秋田県にある縄文(じょうもん)時代のムラ(集落)お墓、まつりをした場所など、17の遺跡(いせき)で構成されています。
 農耕社会以前の人々の生活と精神文化を伝える貴重(きちょう)な遺産(いさん)であることが認(みと)められ、2021(令和3)年7月に世界遺産(いさん)に登録されました。

青森県 三内丸山遺跡
▲ 特別史跡 三内丸山遺跡(さんないまるやま いせき)
青森県
岩手県 御所野遺跡
▲ 史跡 北黄金貝塚(きたこがね かいづか)
北海道伊達市
北海道 北黄金貝塚
▲ 史跡 御所野遺跡(ごしょの いせき)
岩手県一戸市
秋田県 大湯環状列石
▲ 特別史跡 大湯環状列石(おおゆ かんじょうれっせき)
秋田県鹿角市

構成資産一覧(いちらん)

 縄文遺跡(じょうもんいせき)群を構成する17の遺跡(いせき)は、すべて史跡(しせき)または特別史跡(しせき)に指定されています。

北海道

青森県

岩手県

秋田県

関連資産

 構成資産ではありませんが、縄文遺跡(じょうもんいせき)群の価値(かち)の証明や理解を助ける遺跡(いせき)です。

世界遺産(いさん)としての価値(かち)

1万年以上ものあいだ、狩(か)りや漁、木の実などを採集しながら定住したこと

 紀元前1万3千年ごろ、地球全体が暖(あたた)かくなり、北海道・北東北の自然環境(かんきょう)も大きく変わりました。人々は森の木の実や山菜、海や川の魚、など、さまざまな食べ物を手に入れることができるようになりました。土器を作り、同じ場所で生活するようになり、環境(かんきょう)の変化にあわせて1万年以上も定住を続けました。

人々のいのりやまつりの様子がわかること

 人々は、自然の力をおそれながらも、そのめぐみに感謝し、まつりや儀式(ぎしき)を行いました。お墓や、石を丸く並(なら)べた環状列石(かんじょうれっせき・ストーンサークル)、人の形をした土偶(どぐう)などは、当時の人々のいのりや願いの様子を伝えます。

ムラのまわりの環境(かんきょう)に合わせて技術や道具が発達したこと

 人々は、食べ物を手に入れやすい山や丘(おか)、沿岸(えんがん)や川の近くにムラをつくりました。食べ終えたあとの動物の骨(ほね)や角(つの)、がらなどは、つり針(ばり)アクセサリーに利用され、木でつくった道具漆(うるし)がぬられた器など、身近な資源(しげん)を利用した技術や道具も発達しました。

定住の始まりから発展(はってん)していくムラの様子を示すこと

 人々は、ムラをつくり、竪穴(たてあな)住居でくらすようになりました。ムラの中には、お墓 や食べ物をたくわえる穴(あな)、食べ終えたがらや動物の骨(ほね)をすてた貝塚(かいづか)などもつくられ、大きなムラも登場しました。

未来へ伝える

 4道県や17の遺跡(いせき)がある市町では、縄文遺跡(じょうもんいせき)群を守り、未来へ伝えていくための計画をつくり、取組をすすめています。

 それぞれの遺跡(いせき)ではどうでしょう。

 縄文遺跡(じょうもんいせき)群を未来へ伝えるためには、遺跡(いせき)があるまちの人々がその遺跡(いせき)のことをよく知り、大切さを分かり、地域(ちいき)みんなの「たからもの」として、ほこりと責任をもって守っていくことがとても大切です。

 みんなで縄文遺跡(じょうもんいせき)群について学び、このかけがえのない「たからもの」をどのように未来へ伝えていくのかを、ぜひ考えてみましょう。

▲ 縄文講座
▲ 遺跡見学
▲ 発掘体験

縄文遺跡(じょうもんいせき)群ロゴマーク

  • マーク全体を縄文(じょうもん)土器のかたちに見立て、北海道と北東北の形を、縄文(じょうもん)時代のパワーをあらわすような渦巻きの形でつないでいます。
  • 図形の色は縄文(じょうもん)土器や土偶に使われていた漆(うるし)の赤で、構成資産の集まっている範囲を濃い目の色のグラデーションで表現しています。
  • デザインの左右に「縄文(じょうもん)」の文字を、下部に「JOMON JAPAN」の文字を配置しました。「JAPAN」には「漆(うるし)」の意味もあります。